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社会保険労務士 通信・通学講座

◆平成14年合格 匿名希望3 さん
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最初の学習
思い出すと、今から15年くらい前、父があるカセット講座を私にくれました。それがはじめて聴いた社労士講座でした。そのときは、そのカセットを何回も聞いて受験しましたが、全く歯が立ちませんでした。

はじめての通学講座
それから歳月が経ち、平成11年春のこと、私ははじめて社労士の通学講座に通いました。江戸川技術専門校の社労士講座で、今からすると入門的な内容でしたが、なんと河野順一先生の授業をじかに聴く機会を得たのです。法律の話はもちろんですが、むしろ面白かったのは、河野先生の開業社労士の裏話などの世間話でした。もらった名刺には「社会教育評論家」と書かれていました。その年の秋、背伸びして今度はTACの上級カセット通信講座を受講することにしました。島中先生が吹き込んだテープは私には大変新鮮なものでした。しかし同時に、平成12年1月、秋保雅男先生の年金アドバイザー3級講座を聴きに行きましたら、3月の年金アドバイザー3級試験に合格しました。引き続いて、秋保先生の横断講座も受講しましたが、8月の試験はだめでした。しかし、秋保先生は、たいへん魅力的な人柄でもあり、また、法律を自分の言葉でしゃべってくれる講師でもあったため、私はこの先生について行こうと考えるようになりました。そこでその年の10月から高田馬場にある秋保先生の46回のうかるぞ社労士通学講座、4月から28回のまる覚え社労士通学講座に通いました。

私は、当時は秋保先生の全授業をカセットテープに録音し、大切に保管しました。この当時、私は日曜クラスに在籍しましたが、教室が満席にならない限りどの授業でも自由に受講できましたので、そのほかに会社が終わってからの火金の夕方の授業にも行きました。私は仕事が終わると、夕方の授業に直行しました。この夕方の教室ではいつも私は一番前の座席に座っていましたが、その隣の座席にいた方と知り合いになり、飲み会に参加したりして、グループの仲間に入れていただきました。飲み会には、時々は、秋保先生も来られました。こういう何気ない人間関係の中で、絶えず挫けそうな気持ちを乗り越えて、また情報の交換をし他人と自分の勉強方法の違いを比較し、合格まで頑張ることができたことは明らかです。感謝しています。しかし、平成13年8月の試験はだめでした。

平成14年の挑戦
試験が終わりライセンスや真島先生などのガイダンスも聴きに行きましたが、まずは真っ先にかねてから噂の井出講師の解答解説会に参加しました。講義を聴いて私は即座にそのレベルの高さを実感しました。一旦は、受講を見送りましたが、後からキャンセル待ちを入れ、参加できることになりました。このため知り合いグループとは一旦離れ、私は知り合いもなく、またたった一人でI.D.E.社労士塾の42回の日曜ゼミ、10回の答案練習ゼミに通い始めました。

通学講座での席取り
I.D.E.社労士塾は、池袋のはずれの小さなビルの3階が教室です。家族三人(当時4才の娘)で受講代金を払いに行きました。日曜になると、毎回私は、朝から席取りのため、ビルの入り口の廊下に行って並びました。並んでいる間、皆黙々と勉強しているではありませんか。私以外の人が皆優秀に見えて仕方ありませんでした。私は、並びながらいつも通信のテープを聴いていました。教室では、あまり前の席ではなく真中くらいでした。当時は、毎日、テストがあり、あまりいい成績ではありませんでした。朝、近所のファミリーマートでお弁当を買い、昼、それを教室で食べました。私は授業を丹念に録音していましたが、時々、先生は、マイクのスイッチを入れないで喋ることもありました。夕方になると、いつもくたくたで東池袋から帰りました。

井出先生のテープを聞きまくる毎日
さて、私は、労働基準法を聴いた段階で井出先生の講義に大変なショックを受けました。さらに、12月の労働一般の授業を受講してその内容に全く驚きました。このようにして、井出先生のテープを聞きまくる毎日が始まったのです。(なお、このテープは、別に説明しますが通信講座用のテープです。)平成14年2月に受験した第二種衛生管理者は、当然、簡単に合格できました。私は、勉強は自宅だと中々落ち着かないので、会社の行き帰りを中心に、歩いているときも電車の中でもスーパーの買い物の最中でも、常に左手には教科書を持って、所構わず、井出先生のテープを聴いていました。仕事で悩み疲れ落ち込んだときでもこのテープを聴くと、私の心はいつも高揚を取り戻し、くたくたになった夕方の会社からの帰り道にオロナミンCを飲んでから聴く井出先生の講義は、格別に良かったことは後々までも忘れられないでしょう。(なお、私はカセットは早回しはせずウォークマンを使用し常に標準スピードで聴きました。難聴の心配がありますから快適音量(AVLS)にしてノイズキャンセリングヘッドホンを使用しました。)

猛烈なスピードで喋るカセットテープ
重要な点ですから、この井出先生の通信カセットについて説明しますと、カセットの本数は授業の回数とほぼ同じ本数があり、猛烈なスピードで喋る点が特徴です。私は教室での講義をすべて録音し保管していたにもかかわらずそちらは一切聴かず、私はこちらの井出先生の吹き込んだ通信カセットだけ聴きまくりました。理由は両方を聴き比べすると、すぐにわかります。通信のテープでは、殺気立つような緊張感が全身に行渡る感じがします。この緊張感が大切です。このスピード解説に慣れてくると択一にも強くなるようです。もう何回聴いたか全くわかりません。(私は、この他、TACの解説テープ付きトレーニング問題集も使用しました。)

直前期になると、通信カセットの本数は沢山あり簡単には聴ききれなくなります。年金に関しては、私は国年・厚年のテープ12本を年金特訓ゼミのテープ6本と置き換えました。半分の本数で同じようなことを解説しますが、受験上必要なことは、むしろこちらの方がコンパクトに整理されています。

合格手形
私は今でも法律の細かいことは理解できていませんが、試験の直前期のある日、I.D.E.社労士塾から「合格手形」という葉書が届きました。そこにはこんな意味のことが書かれていました。テキストが半分しか理解できないといって嘆く人がいるが、テキストが半分理解できれば合格だと。私は、これは、まさしく自分のことだと思いました。そこで、直前の1週間まるまる休暇を取り、過去問の最終仕上げをしながらも、問題訓練に疲れると、散歩に出かけながら、二宮金次郎のように片手で本をひろげ、井出先生の通信テープを回し続けました。午前中の散歩で1本、午後の散歩でまた1本のテープを・・・。井出先生は、教科書を読めと言いますが、私は、井出先生のテープさえ理解できれば合格だと確信しました。

しかし、この頃困ったのは体調で、私の勉強がこのように二宮金次郎でしたから、前年の春の秋保先生の「まる覚え」の頃から1年以上にわたり教科書を左手に歩くこの習慣を長らく続け過ぎたので、次第に、教科書をもつ左腕の間接が痛みだし教科書が持てなくなったことです。会社で昼食の時に左手でもつ湯のみ茶碗がふるえ、うまくもてません。また肩も痛くなり、明け方になると肩とこの左腕の間接が痛み、目が覚めるようにもなりました。

試験当日
試験当日がきて、午前の選択試験が終わった時点で、労基選択の失敗が明らかでした。青山学院の木陰に腰掛け、昼休みの間中、じっと眼を閉じ、私は全身の力が抜ける思いでした。これが、私のサラリーマン人生の分かれ目ではないかという雑念が脳裏に渦巻きました。カロリーメイトを2缶飲んで、いや、そんなことはないんだ、午前の試験は成功だったんだ、と自分を無理やり自己暗示にかけて午後の択一に臨みました。試験会場を出る時点で、労基選択2点が判明しました。携帯で連絡をとり、何人か集まり、渋谷で飲み会になり、自棄酒になりました。

ところが、1週間後にI.D.E.社労士塾の解答解説会に行くと私は合格の可能性があるとわかりました。しかも充分に・・・。択一も予想以上の出来栄えだったからです。しかし、理屈はともかくこんな簡単に合格できるとはとても信じられませんから、私は再び10月6日からの日曜通学ゼミに通い始めることにしました。

11月15日、ホームページで確認してから、家族3人で小石川の掲示場まで行きました。あの狭い部屋で記念写真を撮りました。しかし、ある日突然、もう勉強しなくていいよと言われたときの途方にくれる心境は、逆に結構つらいことがわかりました。ですから、リハビリも兼ねてI.D.E.社労士塾の日曜通学は返金でなく、最後まで続けることにしました。私のこれからの人生で、もう二度と井出先生のこんな素晴らしい講義を聴ける機会もないでしょうから。


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